ランディングページ

異説クラブ

諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからない時は、いつでも机に向かって何かを書きつけるのがよい。

小泉八雲熊本居所

小泉八雲の誕生日(1850(嘉永3年、江戸時代))
イギリス人。本名:ラフカディオ・ハーン。小説家、随筆家、日本研究家。日本に来日し松江の英語教師となった。

『日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考えて、山川草木湖海風雷から井戸・かまどに至るまで、それらを司る神を想像した。日本人はこの国土をつくった神々の子孫で、この神々こそ我々の祖先である。この祖先である神々に奉仕し、この祖先を崇拝することが、我々の最高のつとめであると考えてきた。神道では他の宗教のように、地獄・極楽を説かない。日本人はその肉体が終えると同時に、超自然の力を得て、時間空間を超越した霊となって、子孫と国家を護るのである。この考えのない者は、日本人ではない』
『あなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません』
『諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからない時は、いつでも机に向かって何かを書きつけるのがよい』

写真は、八雲の「熊本時代」の書斎。松江の自宅と間取り、机の位置がそっくりです。

小泉八雲が熊本を訪れ、第五高等中学校で英語教師として教鞭をとっているが、前後して夏目漱石も英語教師として教壇に立っている。教え子たちが語ったそれぞれの英語教育における教え方が際立って異なっており、二人の小説の違いとも考えあわせてみるととても興味深い。

▼八雲
先生の教授法は一種独特のものであった。例えば文法を教えらるるにも教科書を用いらるるでなし、また口授筆記をさるるでなし、教場に入られて、出訣(欠)をつけらるる。それからクルリと振り返って、黒板に向い、チョークを取って、左の上の隅から文法を書き始められる。生徒は黙々としてそれを写す。その書かるるのはいささかの渋滞なく、時間の終わりの鐘のなるまで続く。鐘が鳴ると一礼して退出さるる。かくして写しきった筆記帳を放課後読んでみると、秩序整然、しかも日本学生にとって最も適切な文法上の注意が与えられている。先生は一片の原稿もなく、全時間いささかの淀みなく書き続けられ、しかもそれが極めて整ったものであったのは驚くべき技倆と思う。これは先生の天稟の文才もあったろうが、教場に出らるるまでには、頭の中で十分練って来られたことと思う。
「母校に於ける小泉八雲先生」 村川堅固 『龍南』第二百号(1926年)所収

▼漱石
授業振りは、一言にして言えば、粗略であった。噛んで含める様な丁寧な教え方ではなくて、「ザ、ネキスト。ザ、ネキスト。」と次から次に読ませて、不審を聞けば、「どの字が解らない?・・・・・・字引を引いたのか?」という風に反問されるから、滅多に質問もされない。でその進むこと進むこと。
由来、教科書は中途または三分の一ないし三分の二しか済まないものときめていた。中でも英語の教科書はジ・エンド(終り)まで読んだことは臍の緒切って以来一度もなかった。然るに、夏目先生から教わった一年間に、「アチック・フィロソファー」や、「オピヤム・イーター」や、「オセロ」など皆ジ・エンドまで読んだ。その上「サイラス・マーナー」の半分まで進んだ。教科書を一冊終りまで読むことは、何でもないようだが非常に嬉しいものである。私はこの喜びを先生から授けて貰った。
「漱石先生と私」 八波則吉 1976年岩波『漱石全集月報』所収


同じカテゴリー(今日の歴史)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。