名盤で聴く今日の歴史 第1回十字軍を題材にした、愛国的な筋立ての歌劇『十字軍のロンバルディア人』

ミラノ市民の多くがヴェルディを支持したことで、第1幕の「アヴェ・マリア」を「サルヴェ・マリア」に変更するのみで初演が許された。
バルトロメオ・メレッリの委嘱により作曲され、台本はトマッソ・グロッシの叙事詩『第一回十字軍のロンバルディア人』を基に、テミストークレ・ソレーラが脚色して完成させた。ヴェルディの歌劇《第一回十字軍のロンバルディア人》は、11世紀ミラノを舞台に、圧政からの民族解放とローマ貴族の兄弟の確執を描いた重厚な物語。そこに、圧政からの民族解放、故郷賛歌をその基本に織り込んだのでした。しかし作品に込められた政治批判や宗教的なテーマを予見した当局は、オペラとして形をなして熱狂上演されることを恐れ、阻止しようとします。
完成直後にミラノの枢機卿がオーストリアの司政官に訴えたため、司政官が警視総監にメレッリ、ソレーラ、ヴェルディの調査を命令し、彼らに出頭を要求したが、ヴェルディは「上演が無理なら作品を破るしかない」と言ったため、ミラノ市民の多くがヴェルディを支持した。そこで、警視総監の計らいにより、第1幕の「アヴェ・マリア」を「サルヴェ・マリア」に変更するのみで初演が許された。
件の『十字軍のロンバルディア人』(I Lombardi alla prima crociata)は、大ベテランでも、国民的老作曲家の新作ではなく、若干30歳になったばかりの駆け出しのジュゼッペ・ヴェルディが作曲した4作目のオペラであった。『イ・ロンバルディ』、『第一回十字軍のロンバルディア人』とも呼ばれている。
「第1回十字軍」(1096年〜1099年)は、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた軍事行動。
教皇は、教会会議で聖地を「乳と蜜の流れる地」として、奪還運動に参加したものには、天において報われ、仮に戦死したとしても神教会より免償が与えられるであろうとし、さらに各地の司教たちにも広く呼び掛けるように指示をした。
クレルモンにおける教会会議の最後に行われた、この聖地回復支援の短い呼びかけが、当時の民衆の宗教意識の高まりとあいまって本来意図していなかった民衆の隅々まで、この運動に賛同する動きは広まり、やがて西欧の国々を巻き込む一大運動へと発展した。
各地の支配階級から抑圧されていた民衆は、そのはけ口として民衆十字軍となり、略奪行動までも引き起こしたりもしたし、さらにユダヤ人排斥運動までも引き起こし、改宗を迫ったり、ユダヤ人狩りまでも行われた。そうした十字軍の陰の部分は、幾多の書籍や小説で確認できます。
このオペラの背景は、当時神聖ローマ帝国下にあったミラノの街からスタートします。ミラノがあるのは、今のイタリアのロンバルディア洲で、イタリア北西部のエリアです。美女ヴィクリンダを巡り激しく争う兄アルヴィーノと争う弟パガーノ。兄を殺そうとしてミラノから追放されたパガーノは、罪を許されて街に戻るも兄への復讐心がとまらず、間違えて父を殺害してしまい再度追放の身に。その頃兄アルヴィーノは十字軍の主将として戦いの真っ最中。彼とヴィクリンダとの間に生まれた娘ジゼルダを敵国に略奪されてしまいましたが、実はジゼルダは敵国の王子オロンテと恋仲に。激戦の末、オロンテを失ったジゼルダの前に現れた謎の隠者は…。劇中、このエリアのロンバルディア人たちの軍の総司令官となったのがファルコ家の長男アルヴィーノで、彼らが向かった先がアンティオキアとなります。
アンティオキアは、いまのトルコ国の南端にある場所で、アンタキアと呼ばれます。地中海に面しつつ、シリアに出べそのように喰い込んだその立地。当時セルジュク朝にあり、難攻不落の城壁に守られていた都市で、十字軍は1096年に内報者を得て、抵抗や地震に悩まされながら、半年にわたる攻防ののち陥落し、アンティオキア公国を設立。約170年死守するものの、そののちは再びムスリム、マムルーク朝に支配される。
十字軍は、第1回より、第8回(9)。1096年~1272年。十字軍は聖なる目標を掲げた第1回から、回を追うごとにその目標・目的も変化していったわけでありますが、アンティオキアのイスラム化が十字軍の最後となります。ちなみに、その後、オスマン帝国、フランス治下シリア、トルコとアンティオキアは変遷していくことになります。
長い歴史の物語ですが、こうした歴史も頭において聴くことも、オペラを楽しむ面白さです。