ランディングページ

異説クラブ

フロイデ!すべての人々は兄弟になるのだ ― 混迷する現代にも通じるメッセージ、歌の力

5月7日は第九初演の日

抱擁と接吻を全世界に


初演は1824年5月7日、ベートーヴェンによる立ち会いの下、ウィーンのケルントナートーア劇場においてミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。指揮はミヒャエル・ウムラウフ。
ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた。

ロマン派音楽の先駆けとなったベートーヴェンは、第5、第6交響曲、および第7、第8交響曲を作曲したときと同じように、2曲の交響曲を並行して作曲する計画を立てていた。ひとつは声楽を含まない器楽のみの編成の交響曲であり、さらに別に声楽を取り入れた交響曲『ドイツ交響曲』の制作を予定していた。
そして世界的に有名な「歓喜の歌(Ode To Joy)」を含む交響曲第9番と同時に第10番の作曲に着手した。「第九」初演の成功の後、20歳代で故郷を離れてから合わずじまいの母親のことを思い返すことができる弟のヨハンの家に滞在していた期間に完成させた、「弦楽四重奏曲第16番」を出版するためにウィーンに戻ることを思い立ったが、これが誤り。準備不足の旅の途上で風邪を引き、しかもウィーン入りが長引いたために、主治医の診断を受けるまでにこじらせ肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、病床の中で10番目の交響曲に着手するも、未完成のまま同年3月26日、肝硬変のため波乱に満ちた生涯を閉じた。

“第9”の世界初演は1824年、その4年後にライプチヒでこの曲を聴いて感動に震えた少年こそ、のちにオペラ作曲家となるワーグナーでした。


同じカテゴリー(今日の歴史)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。