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異説クラブ

効能書きによると、天女丸は生理不順にも効くうえ、服用をやめれば、すぐに妊娠するという

天女丸

『今昔物語』(12世紀初め)に、流産の術として毒を服すという文があり、平安時代すでに人工妊娠中絶が行われていたという歴史があります。江戸時代の農政学者、佐藤信淵は『農政本論』に、農民が毒針を刺して堕胎することがあったと述べて、貧窮ゆえにやむをえないとしています。
戦国の世も一段落し、世情が平穏に戻りつつあった江戸初期。上流階級の人たちの間で不倫が流行。正保年間(1643~1645年)までは、軒頭に公然、看板を掲出し、堕胎を本業とする者がありました。後を絶たない中絶者を見かねて、正保3年、初めて「子をおろす術を禁ず」という布令が出され、1667(寛文7)年、堕胎業禁止令が出された。そこで登場したのが避妊薬。最も有名だったのが、毎月1日にこれを飲めば身ごもらないという触れ込みの「朔日丸」。今でいうピルのような存在だ。これと人気を二分したのが、『浮世風呂』で有名な戯作者・式亭三馬が売り出した「天女丸」だった。効能書きによると、「天女丸」は生理不順にも効くうえ、服用をやめれば、すぐに妊娠するという。いずれも、避妊効果はなかった。
避妊ではなく、むしろ堕胎には本当に効く薬があって、望まない妊娠をした女性は、堕胎医に処方してもらって飲んだ。しかし、母体そのものを傷つけるものであったため、薬によっては命を縮めた女性も少なくなかった。また農家では、ホウズキの根の煎じ汁を飲むこともあった。このほかイノコヅチやテッセンの根茎、紫草の根なども堕胎薬として使われていた。


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