どうだい、これ! 真ん中の穴に指を入れても大丈夫

レコードよりも音質がよく、ノイズがないニューメディア ― CDをどう持つか
「どうだい、これ!」1981年4月15日に、コンパクトディスクが披露された。ソニーのデジタル録音技術、カセットテープのパテントを持っていたフィリップスの助言で決まった60分という時間。
当初のCDはアルミ蒸着製法をとっていたので、清流と精密なプレス技術を必要としていたのでドイツ、ポリグラムの製盤技術が支われた。こうして登場したコンパクトディスクは、カラヤンが主宰したザルツブルク復活祭音楽祭で初めて発売された。
当初のCDはアルミ蒸着製法をとっていたので、清流と精密なプレス技術を必要としていたのでドイツ、ポリグラムの製盤技術が支われた。こうして登場したコンパクトディスクは、カラヤンが主宰したザルツブルク復活祭音楽祭で初めて発売された。
CDの初回発売は、CBSソニー、EPICソニーが合わせて約50タイトル、日本コロムビアが10タイトルだった。このうち最初に生産が行われたのはビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』(CBSソニー/35DP-1)、値段は各社共にデジタル録音の音源による物が1枚3,800円、アナログ録音の音源による物が1枚3,500円だった。
SPレコードの発売が終了して、LPレコードがステレオ盤に主軸を置く、1965年、アメリカの発明家ジェームス・ラッセルが音楽用光学メディア・テクノロジーを発明。日本コロムビアがデジタル録音を成功させたのが、1972年。世界初のデジタル録音を実際に行った時の、曲目はモーツァルトの「弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421」と「弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458《狩》」で、スメタナ四重奏団が来日した時でした。以降デンオンから続々と名盤を生み出し、永く室内楽の世界に君臨することになる栄光の歴史のスタートを飾ったスメタナ四重奏団の記念すべきアルバムは、レコード・アカデミー賞を受賞した。
録音の目処はついた。1975年、ソニーが光ディスクの開発を開始。レーザーディスクの総本山だったフィリップスが1979年にCDプロトタイプを示し、ソニーと共同開発を開始します。開発段階でフィリップス社が提示した試作品は、コンパクトカセットの対角線と同じ直径11.5cmで、名称の一貫性が図られていた。ただしその後ソニー側の提案で収録時間を延長したため、実際には直径12cmとなった。
音楽用途の場合、規格上デジタルのPCM形式で最大79分58秒の音楽が記録できますが、CD初期の最大収録時間(74分42秒)が決まったいきさつについて、開発元のソニーによれば、大賀典雄が、親交のあったカラヤンに、11.5cm(60分)と12cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは自身の「ベートーヴェンの交響曲第9番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。指揮者によって変わるが、ほとんどのヒストリカル指揮者による演奏時間は60分を超えていた。結果的に74分という収録時間は、クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることからそれを押し通した。
結果的に、1951年にライヴ録音されたフルトヴェングラー指揮のいわゆる「バイロイトの第九」(演奏時間およそ74分32秒)や、それに匹敵する長さであるカール・ベームやレナード・バーンスタインの演奏も、コンパクトディスク1枚に収めることが可能になった。
コンパクトディスクは、上から印刷層、保護層、反射・記録層、樹脂層で、記録層の部分は印刷面から10μm(0.01mm)、樹脂層から約1.2mmの所にある。そのため、印刷面からの衝撃に弱く鉛筆やボールペン等、フェルト以外の油性マーカーで記入を行うと記録層にダメージが加わり音飛びなどの症状が出ることもある。CDの印刷面にサインを貰うことには不安があり、最悪の場合読み込めなくなる可能性も考えられる。高温多湿の日本では、その際の指紋や汗で印刷・反射層が端からはがれてきたり、水分が反射膜に浸透してアルミニウムが錆びてしまい反射の機能を失う。
全般として直射日光を嫌い。CDをコマーシャルする当時の写真で、印刷面を下にした置き方がされていた。記録面を汚さないことは当然ですが、トラック情報が記録されている内周部分は触れてはいけません。最近では、ブルーレイのトラック情報は外周にもあるので気をつけたい。ここに指紋やごみなどが付着して読めなくなると機械がエラーと認識してしまう。これはCD、DVD、BD全て共通とのこと。
一番内側ではないので、記録層にさえ触らなければ真ん中の穴に指を入れても大丈夫。