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異説クラブ

海軍を退役して作曲家に、洒落たセンスは日本の音楽史に大きな影響を残した。

Albert Roussel


明治・大正・昭和と、日本の激動期に生を受けた深井史郎。彼はとりわけ、ストラヴィンスキーやラヴェルに強い影響を受け、そのスコアを次々と暗記するなど、作曲技術を学んでいきました。25歳で海軍を退役し、パリ音楽院ではなく、1894年に新設された「スコラ・カントゥルム」の一期生となったルーセルは、この学校の美点を存分に吸収した作曲家だった。それは19世紀末から20世紀初頭のフランス音楽にしかあり得ない洒脱なセンスを基にしながらも、時にあえてアルカイックな、あるいは東洋的な色彩に深く傾斜するあたりに、彼独特の持ち味がある。そして深井史郎の傑作「パロディ的な4楽章」の中で採りあげられている存在である。またチェレプニン賞の審査員であったルーセルが、伊福部昭の「日本狂詩曲」を第1位に選出した。



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