抱卵していたのに勘違いされて、卵泥棒という意味の名前をつけられたオヴィラプトル
アメリカの動物学者ロイ・チャップマン・アンドリュースが1923年4月17日、ゴビ砂漠へ向けて北京を出発しました。5年間に及ぶ探検中に、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見。さらに恐竜が棲んでいた時代のゴビ砂漠は、植物で生い茂った平野であり、大きな湖があったことも証明しました。これらの発見が恐竜研究の先駆となり、その後の本格的な研究につながりました。
1859年、初めて科学的に文献に記録された恐竜の卵化石は、『Father Jean-Jacques Poech』であり、南フランスにてカトリック祭司が発見し、アマチュア博物学者が命名した。しかしそのアマチュア博物学者は、それらが巨大な鳥が産卵した物と考えていた。初めて科学的に認識された恐竜の卵化石は、1923年にアメリカ自然史博物館のクルーらによって偶然発見された。彼らは、モンゴルにて初期の人類の証拠を探していた最中に発見した。
アンドリュース率いる恐竜探検隊が恐竜の卵の化石を発見したのは、6月13日のことです。その卵の化石は、当初は角竜類のプロトケラトプスのものだと考えられていましたが、1995年にオヴィラプトルの卵であると同定されました。
アンドリュース隊がこの恐竜を発見したとき、巣のなかの恐竜の卵は、おとなしい草食恐竜であるプロトケラトプスのものだと思い込んでいたので、「この鳥のような恐竜はほかの恐竜の卵を狙っていたに違いない。」と考えて、卵泥棒という意味の名前をつけたのです。ところがその卵こそ、オヴィラプトルの卵だった。この恐竜の化石は、巣の上にしゃがみこんだ状態で見つかったのですが、翼状の羽がついた前あしを広げ、卵を抱いて暖めていたのです。つまり、卵泥棒という不名誉な名前をつけられてしまったオヴィラプトルですが、事実は卵を守るというまったくの逆でした。
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